仲哀天皇陵古墳 |
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“岡ミサンザイ”と呼ばれる墳丘長242mの大型前方後円墳で、幅の広い濠と幅の狭い堤をもつ古市古墳群で3番目に大きい古墳です。
5世紀末~6世紀初頭の築造と考えられています。墳丘からは城の跡も見つかっています。
周濠は水を貯え、冬にはマガモが飛来し、市民の憩いの場として親しまれています。 |
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小山善光寺 |
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天正年間まで城山古墳の後円部外側に接する善光寺屋敷にありましたが、織田信長による河内攻めの戦火で焼失したため、現在地に再建されました。
長野善光寺の元祖といわれる伝説があり、寺に伝わる「善光寺参詣曼荼羅」からうかがうことができます。
本尊は一光三尊の阿弥陀如来像で毎年4月24日にご開帳されます。 |
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産土神社 |
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室町時代に神宮寺として再建され、祭神を牛頭天王としていましたが、現在は産土神社として素戔鳴命と櫛稲田姫を祀っています。
本殿は一間社流造で、主要部分は創建当時の状態をよく留めており、藤井寺市内で最古級の神社建築として貴重です。絵馬も必見です。 |
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津堂城山古墳 |
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古市古墳群の中では最も古い4世紀後半に築造された前方後円墳で、墳丘長208m、2重の濠と堤を持ちます。
後円部頂では長持型石棺を納めた竪穴式石槨が確認されており、内濠の島状の施設から出土した水鳥埴輪はわが国最大で、重要文化財に指定され、シュラホールに展示されています。 |
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ふれあいらんど |
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古墳群の中の水処理場をテーマにして、こんもりと盛られのに下水処理施設が作られています。屋上や緑地は地域に解放されています。
屋上は、四季折々の花が咲き、展望が良く、大和川周辺の自然景観が楽しめます。市民の散歩やウオークなどのふれあいの場となっています。
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伴林氏神社 |
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平安時代の「延喜式」にも記載されている古い神社で、古代豪族の大伴氏やその一族林氏の祖先神「道臣命」を祭神とする神社です。
軍事を司った大伴氏の祖神を祀る唯一の神社で、「西の靖国神社」と称された時もありました。
鑑真和上を日本にお連れしてきた大伴古麻呂は同じ一族です。 |
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国府遺跡 |
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旧石器時代から中世に至るまでの複合集落遺跡です。
縄文時代から弥生時代の人骨が90体検出され、市章にもなっているけつ状耳飾りも出土しています。また、飛鳥時代には衣縫廃寺が創建され、塔心礎が今でも残っています。
地名からこの付近は河内の国府が設置されていたと考えられています。 |
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潮音寺 |
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14世紀中頃、真言律宗の寺院として創建されましたが、南北朝時代に戦火で焼失し、江戸時代に臨済宗永源寺派として復活しました。
境内には平安時代の孝行娘「衣縫孝女の墓」があります。「釈迦涅槃図」「三十六歌仙図」などが所蔵されています。 |
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允恭天皇陵古墳 |
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国府台地の北端に立地し、5世紀後半に築造された三段築成の古墳で、墳丘長230mの前方後円墳です。
整美な外観は古墳時代中期の代表的な墳形といわれています。
江戸時代までは「市野山」と呼ばれ、綿作が行われていました。後円部の外周は旧長尾街道(大津みち)です。 |
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長持山古墳
出土石棺 |
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阿蘇溶結凝灰岩製の長さ約2m強のくり抜式家型石棺2基が展示されています。
5世紀後半に築造された直径40mの長持山古墳から出土したもので、大阪府の有形文化財に指定されています。
その古墳からは、銅器、鉄剣、甲が出土し、神人画像鏡も出土し、現在ボストン美術館に所蔵されています。 |
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「古市古墳群めぐり 北エリアコース」でした。
気をつけてお帰りください。 |